バンドブームについて


80年代後半から90年代前半にかけてのバンドブームにより、ロックファンとヤンキー達の為のロックが良い悪いは別として大衆的なものになり、アイドル級の人気をバンドが持つようになった。また誰でもバンドができるという考えを呼び起こし日本ロックの裾野が拡がっていきます。

ピークは1989年(平成元年)ではないかと思います。それ以前、バンドブーム第一世代達はだいたいメジャーデビューしてますし、ホコ天・ライブハウス又は大バコでの活動でロックファンの間では既にブームは始まっていました。しかしながら、まだ一般人が普通に暮らしていてブームを体感出来る程では無かったと思います。
当時カジュアルへの転換期とはいえ、男子「ビーバップ」・女子「ホットロード」をバイブルとするヤンキー志向がメインストリーム。君臨するのは解散してもなお絶対的なカリスマBOФWY、その当時の影響力は計り知れません。
私は自発的に彼らの音楽を聴いたことはありませんが、だいたいの曲は知っています。モテる=ヤンキー=バンド=BOФWYという至ってシンプルな時代だったので、私の中学でも机・ノート・学生鞄などありとあらゆる所に”暴威(BOФWY)”であるとか彼らの歌詞を書くイケイケが続出。学園祭のライブでもBOФWYのカバー三昧と嫌でも詳しくなっていきました…(その状況は現在でもカラオケ・カーステにより続く)

まずは88年後半CMに起用されたBUCK-TICK「Just one more kiss」によって口火が切られ、続いて既に武道館バンドだったブルーハーツの「トレイン・トレイン」。この曲は89年に入り斉藤由貴主演の「ハイスクール落書」(TBS)というニュースタイル・ヤンキー学園ドラマの主題歌となりドラマ共にブレイク(沢口靖子主演「痛快!ロックンロール通り」(TBS)は強大なヤンキーシーンを動かすまでには至りません…)。
これにより既存のロック層にヤンキー層が加わり、クラス中で話題になりました。更にプリプリの「Diamonds」、J(S)W「歩いていこう」、ドラマ「同級生」(フジ)の主題歌ZIGGY「GLORIA」がヒットしてブームは加速。またこの年にアマチュアバンド勝ち抜き番組「イカ天」(TBS)がスタートしブーム決定打に!時代は猫も杓子もバンドブームという状況になっていきます。偶然でしょうかTBSの番組が多いですね。
私はBOФWYの歌詞と雰囲気がスタイリッシュ過ぎてハマれず、ブルーハーツからロックに入りました。その後は手当たりしだい何でも聴いていき、ラバーソールが欲しくなる人間に変身していくのです(結局買わずじまい)。



 

BEAT EMOTION
BOOWY
まさに時代のカリスマだった。詳際はamazonのレビュー参考に…。

Train-Train
ザ・ブルーハーツ
友達にテープ借りて聴きました。衝撃受けました。これで初めてパンクを知ることに。

歩いていこう
Jun Sky Walker(s)
これは買いました。甘酸っぱい青春。まさかトリビュートされる時代が来るなんて…

 


「イカ天」は残念ながら関西で放送が無かったのでプリプリの奥居さんが司会してた「ビデオ・ジャム」(テレ朝系)や関西独立系ローカル局の雄サンテレビの「ミュートマ・ジャパン(本家はTVK)」や「BTT JAPAN」なんかをチェック。「BTT JAPAN」はサンテレビと思えない程ライブやインタビューに力が入っていました。
あと、クリスマスにはNHK「Just Pop Up」のスペシャル番組があって、印象深いのがユニコーンとジュンスカのコラボレーション。Knackの「マイシャローナ」、RCの「雨上がりの夜空に」を好演。クラッシュの「London's Burning」の日本語珍カバー「Tokyo's Burning」には苦笑。
さらに当時まだ元気なメディアだったラジオも外せません。私は関西なのでFM802のミュージックガンボという番組を聞いてました。(FMはハイポジ・AMはノーマル…今じゃ考えられませんね)

月曜 火曜 水曜 木曜 金曜 土曜 日曜
吉田美和
(ドリカム)
?記憶なし
三浦ひろみ
谷村由美 矢口清治
(洋楽H.R
森田恭子〜
ちわきまゆみ
?記憶なし
藤田幸恵
KANとその他
槙原敬之。後に
ミスチル桜井
■ミュージックガンボのDJ

そのなかでも良く聞いたのは森田恭子さん(音楽ライター)の金曜日で日本のロック専門の日。
結構色々なバンドが出ていて、しかも彼女の人柄なのでしょうか気兼ね無くしゃべってくれ色々な情報が得られたような記憶があります。
またFM802は90年の大阪花博LiveZealというライブイベントをオンエアしてくれていました。
真島昌利(THE BLUE HEARTS)、谷村有美、高橋幸宏、KENZI、KATZE、松岡英明、SHOW-YA、聖飢魔U、バービーボーイズ、DEEP & BITES、スターリン、メスカリン・ドライブ、餃子大王などが出演してました。
今考えると興味深いDJが出てます。ドリカムはこの後売れまくった、今も変わらないところを見るとこの人は驕りが無い人です。ミスチルの頃になるとラジオをあんまし聞かなくなってました。

初期バンドブームには音楽をジャンルで聴くという考えは余り無く、私自身もなんでもアリ的な聴き方をしていた様に思います。それが成熟とともに住み分けが始まっていきます。
当時周囲のヤンキー層はブルーハーツ(ろくでなしブルースも援護)、バクチクやXぐらいまでは受け入れましたが、その他のバンドに対して音楽的には似たビートパンクでありながらも抵抗がありました。なぜならファッション・歌詞を含む思想において高すぎる壁があったのです。故にヤンキー層はガラスの中の退屈な街を抜け出し?古巣のヒムロックやCOMPLEXといったバンドに帰っていきます。
さらにロックファン層も当時の雑誌「Pati-Pati」、「GB」、「Backstage Pass」、「アリーナ37℃」のようなメジャー系と「宝島」「フールズ・メイト」「 ロッキンオン・ジャパン」「Doll」といったマニア系に分かれます。もちろんモテるロックの主流はさわやかな前者。
またBOФWYフォロアーやXを中心にヤンキー系・メジャー系双方からこれまた定義があいまいなビジュアル系(のちに主流)という分野が確立。詳しくは知りませんがルナシーやシャズナ等を経て現在まで根強い人気を誇ります。佐久間正英さんもバンドブーム期にも少なからず関係あるなぁと思いました。

その後のバンドブームに話を戻すと、BAKUやFUSEといった第二世代が台頭。バンドはアイドル不在の時代のアイドル代わりの存在となっていきます。またAURA等は「たけしの元気が出るTV」に出演しテレビ的なパフォーマンスしたり…私自身も周囲の騒ぎ方、メジャー系雑誌のアイドル化、「フールズ・メイト」のビジュアル化に違和感を覚えていくようになります。
で、好きだったバンド達がラジオや雑誌で語っていたルーツの洋楽ロック(まずはUK初期パンク)の方に手を出していくようになり、その後だんだんと洋楽・邦楽の比率は逆転していきました。
高校に入るとバンドブーム色は薄まりB'z、T-ボラン、ザードといったJ-POPバンドとガンズ、スキッド・ロウ、Mrビッグといった洋楽ハード系が台頭。
私にとって周囲と話が合わない苦しい時期がまだまだ続きますが、それはいずれ書きたいと思います。
ですから90年以降バンドブームの終焉まではこれ以上詳しくは分かりません… ごめんなさい。

どんどんロックはジャンルによって細分化され小難しくなっていった事を考えると、思い出すと恥ずかしい事も多いが当時はまだ古き良き時代だったのかもしれません。

 

DOKI DOKI
JITTERIN’JINN
流行りました。スカっぽい歌謡曲。このへんが再評価されてるのかな??

服部
UNICORN
横並びのバンドブームからいち早く抜け出した奥田民生。ごった煮だが面白い。

Too Fast To Live Too Young To Die
氣志團(オマケ)
このジャケットアリ?当時のサブカルについての見識は凄い

 

recomend

恥ずかしい過去だったこの時期を切なく感じてしまう程私も年をとったという事でしょうか?しんみりしました同世代の方オススメ。 映画化もされた珍しくシリアスな傑作。みうらさんは青春ノイローゼが覚めやらぬ希有な勝ち組。巻末の真心の解説が秀逸
リンダリンダラバーソール
大槻ケンジ
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